いつか見た船

迷える子羊とその日記

ゲーム作品に見る中国人表象──「新・サクラ大戦」の事例

 

友人がサクラ大戦のファンなので、喜んで限定版を買い、プレイを始めて一時間後には大変落ち込んでいました。

 

問題はこう。

 

 

1.上海華撃団の中国出身のキャラクター(以下A、B)がライバルとして登場した。

2.帝国華撃団のキャラクター(以下C)がピンチに陥り、AとBに助けられた。

3.AがCをスカウトする。

4.Cがスカウトを断る。

5.A、BがCに暴力を振るう。

 

 

いやおかしいよね?

 

 

最も直接的に問題だと考えているのはこのシーンですが、

もう少し背景を説明しましょう。

 

 

これらのキャラクターは、オリンピックのような世界平和の祭典のために集まっています。

AとBは、ストーリーの最初から百戦錬磨のライバルとして登場していました。

最初の登場(とデザイン)は、まあステレオタイプ的ではありますが、

その事自体に問題はありません。とりあえずは。

 

 

むしろここで問題になるのは、①なぜそのような(殴る、という行為に出るような)シナリオになったのか、

 

そして②その役回りをなぜ中国出身のキャラクターが演じなければいけなかったのか、です。

 

まず文脈を確認しましょう(①)。

 

暴力行為におよぶ前のシーンでは、Cががんばり屋で健気であるということにスポットが当てられていました。

彼女は夢のためにずっとがんばってきたのだと。

そして彼女と司令室の面々は無線で接続されており、そのことはAとBも知っています。

なおかつ、Cに緊急脱出を促す声も聞こえているはずですし、

「百戦錬磨」なのですから、光武がどれほど損害を被っているかもわかっているはずです。

 

そのような状況下さらに攻撃を加えるならば、

それは殺意があると思われてもおかしくはない。

 

シナリオを見る限り、この暴力行為は正当なものではありません。

 

 

 

そして、この表現をより悪質にしているのは、当該のキャラクターの国籍です(②)。

 

このような行為に及ぶ役回りのキャラクターは、なぜ中国出身でなければならなかったのでしょうか?

 

中国出身でなければ、もしくはただ個人のずるさとして片付けられるならば、

この表現には問題がなかったでしょう。

 

しかし、日中の歴史的な背景および、現在の日中関係を踏まえて、

これを「上海華撃団」がチームぐるみでやっている、という表現には問題があります。

 

(制作陣に実際に偏見があるかどうかではなく)

これでは偏見があると思われても仕方ありませんし、

偏見を助長しうる表現でもあります。

 

「彼らがスパイだ」と平気で言うような人がいるような状況下で、

世界展開をしている企業であるSEGAが、

このように表現をすることはまあ、はっきり言って、無神経です。

 

 

またこんなこと言うとポリコレ棒とか言われるんですかね。