いつか見た船

迷える子羊とその日記

ヴァイオレット・エヴァーガーデンと機械=人間観ノート

まだノートだけどせっかく書いたし…という言い訳

 


興味深い点

「自動手記人形サービス」
代筆=機械としての位置付け
しかし女性しかいない
→知性と性の融合した商品サービス
ヴァイオレットもメイドと同じようなことをした
人であるから対応できること、そこまでサービス内容に入っていると見て良い
しかしどこまで女性である必要がある?
つまり、なぜ女性しかいない?
って考えると答えが一つでは?

 

このサービスが成立するためには物流復旧と識字率の低さが必要
前者はクリアしているとして
農村の人間でも字を読む描写があるのに書けないのか?
ここの順番はよくわからん、現代だと同時に訓練されるし

ヴァイオレットが心を備えて「成長」していく様子、機械としてのそれではなく人間としての気遣いが求められているのは明白
それがこの仕事のキモ
代筆はオマケ…はいいすぎか、代筆は機械でもできるが、機械ではできないことを求めている

 

人間としての気遣いとは?
ヴァイオレットは作中、人に触れることで愛、というか、痛みを理解する(自分がしてきたこと、「燃えている」状態の理解)
戦闘機械としてのヴァイオレットはまだ本能と身体能力だけで動いていて、心を備えていない状態をそう呼ぶならばまさしく「機械」もしくは「動物」…えーこの区別は置いておこう話がややこしくなる

 

人間と機械を大きく分けているものはもちろん生殖なんだが
そうするとこの自動手記人形サービスって結構面白い観点
つまり、性的な観点を導入せざるを得なくなるということ
「人形」という言い方も含めて
資格もあるくらいだから、それなりに普及した仕事だし
平民も依頼できるならそんなに高いものじゃない
このサービスをどう捉えるべきか?