いつか見た船

迷える子羊とその日記

中国① 貫徹する商業主義編

中国:①貫徹する商業主義+②未分化=③身勝手

 

お待たせしました。中国編です。この記事はこのバージョンを残したままバージョンアップされる可能性があります。中国の要素を自分なりに整理してみました。

とりあえず①からいきましょうね。

 

 

中国はとっても拝金主義だとの噂ですが、それは事実です。

 

資本主義だと消費と広告ってかなりセットになってきますよね。日本にももちろん広告はいっぱいありますが、中国はより手段を選んでません。

企業は新幹線を買い取って自分色一色に染めることが出来ます(シートや車内広告を全てその企業のものにでき、車号まで変えられる)。地下鉄の外では広告が並走しています(地下鉄の走行速度に合わせてLEDの点灯パターンを作り、意味のある画像として見えるようにする技術)。中国版Youtubeの広告は飛ばせません。

 

これは中国の発展とかなり関連があります。中国はすごく発展しているように見えますし、事実発展していますが、取り残された地域と人も文字通り山ほどあります。つまり経済状況は上方向に引き伸ばされていますが、その対象者がかなり限定されているんです。お金を持っている人たちが使えるものが増えていった結果、どんどん分断が進んでいます。

地下鉄・バスに乗っている人は新幹線に乗れない可能性が高いです。走っている車の割合も、BBA(Bentz, BMW, Audi)が多めです。市場で食料を買っている人は、スーパーや百貨店、最新のショッピングモールで買い物は出来ないでしょう。でもそういう人たちの方がずっと数としては多い。

 

 

広告の種類で多いのは、車や不動産です。今中国経済は下火になりつつありますが、まだまだ発展している最中なのは事実ですね。住んでいる地区によって通える学校が変わってくるので、親も必死です。まあ車や不動産が売れ売れなのは自分のメンツのためなんですけどね!

 

そう、中国を語る上で欠かせないのが「メンツ」の存在です。中国は貧困な時期が長く、そして今まで述べたとおり、貧困な人たちもまだまだ多いです。村社会なんですよ。逆にそうすると自分をよく見せるということがすごく大事になってくる。本当はよくないことを自分が一番よくわかっているから。

田舎だと、無理なローンを組み、借金をしてまで高級車を買うことは珍しくないそうです。結婚式のときには、色が白か黒で統一された高級車の行列(もちろん車種も揃える)を走らせるのがステータス。見栄を張って無理することは、結局自分を傷つけるのですが。

 

親の見栄は子どもに跳ね返り、国の見栄は国民に跳ね返る。当局は杭州での国際会議のとき、「モデル家族」を残して、市民にお金を渡し町から追い出しました。PM2.5はまだ猛威を振るっていますが、そんな環境の屋外で一日中立って仕事をしている人がいます。大気汚染、水質汚染がどんなに重大なレベルで、どんなに重大なことか知らない人もたくさんたくさんいます。

 

お金を儲ける人にとっては絞れるところから絞れれば別に良いのです。医療費も高額ですし、かといって自分で運動して予防しようと思えば大気汚染が襲ってきます(私も一時間歩いて喉を痛めました)。新幹線駅に来るような人は新幹線に乗れるだけの経済水準を有する人です。新幹線駅の商品の価格は、地価が反映されてとても高い。インターネットの利用者が多ければ、なぜか「料金は高くなります」。そしてみんな使わなくなって、結局やりとりできなくなる。

自分で自分の首を締めている。

 

 

とはいえもちろん、土地開発をやっているのはお金を持っている人たちです(当局含む)。最新のショッピングモール、紫禁城、国家博物館…施設は大変美しいです。毛沢東肖像画にはとりあえず目を瞑ることにしましょう。うん。

 

いろんなところでそうなんですが、今ひとつ利用者の立場には立っていないですね。施設(いわゆる箱モノ)はキレイです。

でもショッピングモールには案内板が一切ありません(延々商品見ながら歩かされることで、ちょっと雰囲気に飲まれて消費しちゃいそうになります。ハッそれが狙いなのか!)。

紫禁城は、監視カメラが直接つけられていたり、色あせていたり、どう見ても専門じゃなさそうな、適当に配置されたとしか思えない労働者が石畳を修復していたりします(修復って言うのだろうかそれ)。彫り物も風雨で摩耗しており往時が偲ばれます……が、この楽しみ方は文化財として正しいんですかこれじゃ遺跡ですよ。奈良出身としてはぜひ文化財専門チームを呼んでみたいところです。

国家博物館、やっぱり案内板がないですね。大英博物館の展示物が来中していたことには感動しましたが。ロッカーブースではボックスタイプのコインロッカーではなく、人がクローク形式で預かってくれます。料金が高かったです。いやあ私たちはいいんですけど、田舎からものすごい数の人が来るというのに。

 

ロッカーに限りませんが、並ばないといけないし、並んだ人数を捌くために新しく窓口を開けることもないし、かといって案内板もない。新幹線駅などでの身分証明書の提示(急いでるんですけどその1)、安全検査の回数(急いでるんですけどその2)、監視カメラの数、もう強迫神経症レベルです。

 

 

ここで私達が支払っているコストは金銭じゃないですよ。時間です。

新幹線に遅れてしまったら、もうその日の新幹線は諦めないといけない。窓口2つしか開いてない、割り込まれるかもしれない、安全検査で時間を取られるかも、間に合うかな、これ結構カリカリしちゃうんですよ。他にも、動画サイトでの飛ばせないCM、時間通りに来ないかもしれない公共交通機関……(システムがしっかりしてないからこそ、人々が助け合う側面もありますが)。

 

中国はモラルがない商業主義がどうなるかという壮大な良い例を提供していると思います。

映画「攻殻機動隊」の世界の矛盾(ネタバレとともに)

観てきました。原作ファンの友人は世界観の再現を頑張ってくれたとは言っていました。努力賞という感じでしょうか。一億しかないのにあれは確かによくやった方だと思います。

 

原作ファンでない私からは世界観へのツッコミをば。

 

 

1。サイバーエンハンスメントの訳がおかしいですね。義体化とはニュアンスが違います。

義体化の意味にはサイバーネットワークへの接続が含まれているはずです……冒頭を見る限りは。建物、サイバー化した人の中にデータの粒子が動いているのが確認できます。その説明はさっぱりなかったです。

 

 

2。町がごちゃごちゃしすぎ! 香港で撮ったそうですね。それ自体はいいんですが、サイバー化していたら町はもっとキレイだと思いますよ。だってデータ管理で望ましくない人もモノも排除してるはずですから。それを特定するくらい、あれだけIOTが進んだ世界なら簡単でしょう。

素子が元の家に帰るシーンがありますが、あまりにも中国風で……もともとそうならともかく、彼女は日本人でしょ。あんなアパートだと素子はそんなに貧しい育ちなのかと思っちゃいますよ。

 

3。多言語表示は時代遅れです。人間の中にもサイバーチップが埋め込まれているなら、視界に入ると同時にその人に適していると判断される広告表示がなされるはず。その広告表示は言語が自動翻訳されるだけでなく、本人の嗜好に合わせたカスタムがされていると思います。やってることは今と変わりませんからね、デバイスが違うだけで。もうこの取り組みは始まってますよ。

 

よってバトーや少佐は多額の金銭を支払って視界の中の広告を消しているというのが私の結論です。

 

 

4。電力消費どうなってるの? ネットワーク化が進んでおり、人間の中のチップが結合されてそれが末端となり、えーとつまり、中枢にあたるスパコンがあるはずです。

リアルタイムで情報を処理するためには人工知能も必要だし電力も必要です。当然その人工知能はアメリカ製ですよね! どこの会社のかな。

 

 

5。あの世界の人間がどこまでサイボーグ化しているか。少佐は体が全てサイボーグだったと思いますが、裕福な層と貧困な層で当然格差があると思います。

一番最初に出てきた社長たちはみんなサイボーグ化していますね。大統領はしてませんでしたが、まだサイボーグ化が進んでいないということから、より階層が下の国であると判断できる。町で立っていたお姉ちゃんも、あれはサイボーグに入るのか、それともただの化粧に入るのか、線引きが微妙です。

 

ウェアラブルバイスも特に出てこなかったし、うーん謎だ。「サイボーグ化に抵抗がある、でもデータ処理はしないともうついていけない、そんな人のためのグーグルグラス!」売れそうじゃないですか。でもお高いんでしょ? とかいって分断が進み格差が開くんですよ。

 

6。最後の国家反逆罪ってどうやって決まったんですか? 企業利益を追求しただけで裁判もせず、そこですぐ断罪して撃っちゃうってそっちの方が危ない人では? 法手続きどうなってるの? これだとあれデータ管理に基づいた独裁国家って判定になるのでは?

 

 

突っ込みどころが多い映画でした。でも興味深い映画でした。

中国人観光客と日本、新千歳空港

中国に行ったので、特集とかやろうかなとか思うんですが、とりあえずこれやります。新千歳空港の一件。

 

 

詳しい経緯は西本さんという方がとても詳しくまとめてくださっています。

 

wedge.ismedia.jp

 

これをさらに中国人観光客の側からまとめると、

 

1.出国する

2.飛行機止まる

3.待たされる&次の便の人が乗っていく

4.中国側に冷淡な対応をされる

5.日本側に威圧的な対応をされる

 

という感じです。実はこれは中国で起こっていることが日本に舞台を移した、しかし日本との行動様式が違うので問題化された、ということだと思います。

 

とりあえず順番にポイントを説明しましょうね。

 

 

1.出国する。出国した後は、本当に飛行機に乗るだけなので、待合の椅子と免税店くらいしかありません。

 

2.飛行機止まる。12/22、13:50発北京行きの便は夜まで遅延し欠航。航空会社は翌朝8時のチェックイン再開を決定、発表。

 

3.翌朝8時になってチェックインをしても搭乗案内なし。一方中国の他の地域行き(上海など)は順調に出立。午後になっても音沙汰なし。

 

4.16時ごろ、中国人男性が航空会社の日本人スタッフに事情確認。もし今晩も一泊する必要があれば、航空会社負担によるホテルの手配を要求。18時ごろ、航空会社の中国人責任者がやって来るが、十分な対応なし。札幌における中国総領事館に連絡しても冷淡な対応。

 

5.22時欠航決定。中国人責任者は制限区域から出て、再入国手続きをして空港内で待つよう乗客たちに通達。みんな出ず(新規入国扱いになるので、手続きが長くなる。人数も多い)。24日深夜2時、日本人の責任者が全員を制限区域から出そうとする。航空会社の日本人スタッフに対し、「(日本人なのに)どっちの立場なのだ」と。

 

6.24日早朝4時、全員が制限区域から退去。その2時間後、6時からチェックイン。

 

この記事によると、「暴れた」のは23日の21時ごろでした。暴れたといっても、実態は言い争いに近いものです。ここが誇張されて報道されているんですね。それもこのような背景があるのは十分に情状酌量の余地があります。そしてここで大事なのは、第一には中国側の対応が悪かったこと、第二には日本側の対応が悪かったこと。

 

 

まず第一の事柄について。

 

中国で公務員側の対応が悪いことは、ある種デフォルトです。中国の空港(というか、役所でしょうか)は、客が並んでいても時間になるまで決して業務を初めません。そもそも空港や役所、警察で仕事ができる人は、権力の側に立っている人です。中国での階層の分断は、金銭によるものというより、共産党に由来する権力によるものです。

 

空港で入国審査をしている人は、20歳過ぎくらいの若い女の人でも少尉だったりします(階級章からわかります)。そういう人は親が軍人や共産党高官で、自分も軍事学校出身とかです。彼らは逮捕権もありますし、下々の者とは違うので、なんというか本当に目が怖いです。話がそれました。

軍人が入国審査というのはイメージが湧きにくいかもしれませんが、中国ではそれだけ、権力者の子供が簡単に職に就けてずっと食っていけるシステムになっていると理解していただけると。

 

総領事館の対応もそのようになるのは想像に難くありません、というよりそうなりました。これは中国のシステムの害です。

 

航空会社は…どうでしょう? チェックインも客が並んでても時間になるまでのんびりおしゃべりしながら準備してるし、今のバブルバブルな中国はお金がもらえればいいやという考えがはびこっているので、カネにならない乗客は邪魔に映ったかもしれませんね? ましてそのために手当や補償をするなんて。

 

 

第二の事柄について。

 

おそらく日本側はそのような事柄は航空会社が扱うもので自分たちは関係ないと思ったのでしょう。それ以外にもあるとは思いますが。

 

日本だとそのへんの役割分担のシステムがかなりしっかりしていますね。日本の航空会社だと、悪天候時にも保証がありそうな気がします…が、このへんの資料が見当たらないので、確定的には言えません。資料が欲しいです。

 

それ以外、というのは実際、保安官たちは威圧的な物言いをしていたようです。制限区域を出ると寝る場所がないのは「自業自得」であると。この言葉は航空会社が扱うべきだという思いからだけでは出てこないでしょう。だいたい「どっちの立場なのだ」ってなんですか。航空会社のスタッフなんだからそりゃあ乗客守るに決まってるでしょ。

 

すみません熱くなってしまいました。まあ、そうですね、保安官たちがそういう補償は航空会社がやるもので、自分たちは自分たちの仕事をすればよい、というのは日本における事実でしょうね。

 

 

 

というわけで、新千歳空港では、日本でのやり方と、中国でのやり方が混在していて、そこで埋められないところがあったわけです。

 

とりあえずここでは、マナー問題というのは、ツーリストがゲスト側に自分たちの規範を持ち込んでしまうことをいいましょう。大体実感にあっていると思います。

 

そうするとこの騒動は、広義のマナー問題です。確かに日本人の客であれば暴れることはなかったでしょう。しかし彼らが暴れたことに対し上述のように十分同情の余地があること、同時に中国における「普通の」振る舞いでもあること、どちらも事実です。

 

という風に考えると、中国の様式が日本に持ち込まれたものということができます。これが仮に中国で起こったものであればこんなに騒動にはならなかったでしょう。舞台が日本だったから、際立って報道されただけです。

 

しかしそこで埋められない部分があった、というのが一番の問題だと思います。もし中国が十分に対応していれば、もし日本が十分に対応していれば。

 

そもそも日本が外国人観光客を受け入れる十分な数的キャパシティがないのですが(これもいつかお話できればと思います)、それが噴き出したのだと解釈しています。

 

興味をお持ちなら、ぜひ西本さんの方をお読みください。

 

 

トランプの勝利が意味するもの

NHK11でこんなシーンがありました。

 


トランプ氏の勝利に対して、制服姿の小学生が四人街角のテレビの前に立っている。左端の女子が、「なんでトランプなの!? 絶対なっちゃいけないのに!」と地団駄を踏む。

 

 

いや、あのね。全く問題ありませんよ。


彼は正しい手段でその地位を勝ち取ったんです。それが倫理的にどうかは別の問題です。これが民主主義です。

 

 

そもそもトランプの支持者層は白人の低所得者層でした。移民は成功している(そもそも移民できるような人だったら大方は)のになぜ俺たちは! ヒエラルキーをピラミッドに例えれば中間、真ん中から下が支持者層になるわけです。単純に考えても四倍になりますね? それをどのツラ下げて予想外だったとか言うんですか。それに備えるのが仕事じゃないんですか。政府もクリントン全面支援でリスクヘッジがなっていません。今頃大慌てでしょうね。

 

対してクリントンはエリート層の支援を得ています。NBCの選手やビヨンセと一緒にキャンペーンしてましたね。トランプほど単体での求心力がないからですよ。
彼女を選ぶことはトランプを選ぶことに対して「無難」というか、ある意味「予想通り」です。しかしそれがいい人と、それではいけない人がいる。
アメリカのリベラル系新聞がこぞって予想外を報道したのは、リベラル系新聞(記者)の層に理由があります。リベラルはエリート層です。エリート層はシステムに適合した、ある意味でシステムに守られた人々です。システムに守られない人々、一生懸命システムの中に入ろうとする人、そんな人たちの方がずっと多いんです。日本だってそうでしょ。

 

 

冒頭の話に戻りますが、「絶対なっちゃいけない」人がなぜ「なっ」たのか。まずそこから考えるべきです。そもそも「なっちゃいけない」と「なる」には質的に乖離がある。そこにあるのは理想と現実の相克であり、それに飽き飽きした人がトランプに救いを求めるのです。クリントンはエリート層なので、よいことを体現していたとしても、それは理想だから、心には届かないんです。理想は一足飛びには実現しないから。それをゆっくり埋めて行くしかない、そしてその長い道のりに耐えられるのは、状況のいい人だけです。その間にも格差は拡大する。

 

 

トランプの勝利は人間性の敗北です。現代は人間性を培いはしなかった。人間の心は人間自身を食い破ってしまった。

 

 

 

そういえばポリビオスの政体循環史観は、民主主義の次を衆愚政としていましたねえ。

ふじょしアートは日の目を見るか

 

そろそろなんか書けってはてなに言われてびっくりしました。

せっかくなので書きます。

 

 

 

友人がpixivにハマりまして。

 

すごいですねpixivは。私もよく見ますよ!

変なところ見るよりずっと当たりがおおくて、本当に何時間でも消費できて現実逃避がはかどります。時間泥棒こわい。

 

 

で、ですよ。

 

その人が言うには、女性向ランキングと男性向ランキングで顕著な差があるとかなんとかで、

男性向はハイレベルなものもあるが、女性向はそうではないという。

 

 

順を追って説明しましょう。

 

 

今現在、あそこでは(というか、どこでも)おそ/松/さんが大ブームです。女性向はほとんどそれで埋まっている。腐要素を含むことも多いですね。

それを男性向のイラストと比較した場合、表情や骨格や描き込みにおいて、なんとなく見劣りすると。

キャラクター当人ではなく、キャラクターの関係性そのものを、ただ消費しているだけなんじゃないか。

(一つ擁護するなら、そもそもあの絵柄はデフォルメされてるので描き込みに向かないですが)

で、その趣向の差はいったいどこから出てきているのかと。

 

 

私としてはあれは単に娯楽だからだと思っているのですが(例えば、男性が女性を消費することと、女性が男性を消費することに差があるだろうか?)

むしろその人はその消費形態が「単なる娯楽に堕ちてしまったこと」に問題を見出している。

創作物が「養分のない」単なる快感のためだけのものに陥ったときどうなるか。

(ジャンクフードみたいですね)

 

 

私自身は、男性向(のエロ。ここでは同人誌などに限ります)は市場として確立されているし、男性も女性も参入しているけれど

女性向は女性だけで成り立っている傾向が強いんじゃないかと思うわけです。

男性向は高度なものが成立しうる裾野があるけれど、女性向にはそれがない。やっと動画が対応しだしたくらい。同質的でいると幻想は膨らむもの。ここにこんな人はいないはず、こうあってほしい、…。一つの排除の形に結実する。

 

 

ジャンクフードそのものが問題であるわけじゃありません。

資本主義の世界ですから、快楽を追求するのもむべなるかな。

しかし、それ一色で染まってしまったら、どうなるでしょう。

 

 

実は男性と女性の階級の差が関係してたりして、と思います。

一般に男性の方がいい教育を受けている、とか。男女共同参画といっても、まだまだ根強いですからね。

(やっぱりちょっとバカな子の方が可愛い、とか。賢いブスと、可愛いおバカ、どっちがいい? アンケートでどう答えるかというのと、実際にどうするかはまた別の問題ですよ)

 

性(ジェンダーも、セクシュアリティも)に着目したとき。

男子を教育することは個人を教育することだが、女子を教育することは世界を教育することだという言葉があります。教育された母親は、その子供の死亡率を下げるそうです。

その母親が消費だけの主体になってしまったら。そこだけで満足してしまったら。

それこそ国力の衰退に繋がりうるかもしれません。

彼女らにもいろんなタイプがいるとは思いますし、みんながみんなそうだとも思いません。そこは気をつけるべきところですね。

 

 

少し話が飛んでしまいますが、

インターネットは当該領域から排除しようとする動きすら、その領域から染み出して出てこさせてしまう。仲間内のはずがそうでは済まなくなる動きもあります。届いちゃうからね。自分のやっていることに意識的でいるというのは、なかなか難しいものです。

 

 

 

領海を「侵犯」? 領海を「航行」?

 

中国の領海への立ち入りが問題となっていますが、あれを法学の立場から反論するのは難しいかもしれない。

まず日本政府の主張から。

 

これはね。ミスリーディングだよ。

f:id:circuitun:20160616133324p:image

(http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20160615-00000123-mai-pol.view-000)

 

 

 

これを見ると確かに領海侵犯になる。

ここで中国の主張を見てみよう。

「国際的航行に使われる海峡で、国連海洋法条約の航行の自由の原則に合致する」

 

ここで食い違っているポイントは、ここが領海になるのか、国際海峡になるのかという部分。

 

では国際海峡の定義を参照しよう。

国際海峡(こくさいかいきょう)とは、国連海洋法条約によって定義された国際航行を定められた範囲で自由に行える海峡のことである。(wikipedia)

 

これだけだとわかりにくいですね。こうです。

f:id:circuitun:20160616134142j:image

(http://www.geocities.co.jp/WallStreet/7009/mg000824.htmより引用)

 

あくまで一般法にはなりますが、この場合は国際海峡になるんじゃないでしょうか。理屈としてはね。国際海峡と領海なら国際海峡が優先になると思う。国際通商上の理由で国際海峡が設定されるなら…。

ついでになぜ情報収集船かというと、当日日米印の合同軍事演習があったと香港のメディアが報道していました。この辺はあんまり情報出てこないな。フランス語でもだめ。

あ、でも検索したら沖縄タイムズにはちゃんと書いてあった。地元紙だけか…(https://www.okinawatimes.co.jp/article.php?id=173517)

でも検索したら出てくるんだねってことは知らないと知らないのね。

 

Youtubeのコメント欄では、領海侵犯と書かなかった毎日と朝日が反日だと言われていました。この国に真ん中はないのか。

こんなんだから自由報道ランキングが下位だのなんだのと言われるんでは…。

 

図書館と情報格差

 

 

訳あって東京に来ています。
 
 
この書き方の通り私は地方出身者でして、地域としてはそこまで辺鄙ではないけどその町のはずれ、くらいの位置付けです。つまりちょっとした田舎です。図書館は隣駅から少し歩いたところにあります。
 
で、東京の図書館に来てびっくりした。すっごく広い、新しくてきれい、蔵書も多い。まあ行ったの千代田区なんですけどね。最初に行ったのは板橋区です。地元の図書館は板橋区の図書館より狭く古いぞ!(板橋区の皆様申し訳ありません)
なぜレシピがある! なぜ最新の雑誌が! 更新されてるってことだよな! すげー!
 
 
千代田区の図書館に行ったのは、他の自治体所属でも日本国内在住者なら借りられるから。他は中央区くらいかな。あとはその区に在住か通勤・通学してないとダメでしたね。それも板橋区の図書館で教えてもらったんだけど、資料が更新されてないのか新宿・渋谷でも借りられると聞いたのに借りられず…。ちゃんとしてください。
 
ここで思ったんだけど、日本国内に在住してなくて、学会かなんかで来た国外の人ってどうなるんだろう? 結構苦しいんですよ図書館の中で読むの。もちろんその資源を利用できるだけでありがたいのはありがたいけど。
 
 
デジタルデバイドっていうと、インターネットのことばかりが注目されるような気がしますが、私の情報の定義は「感知できるもの」くらいの広いざっくりしたものです。
科学博物館好きなんだけど、こんなにあるのは東京くらいだよね…。美術館もやっぱり東京の方がラインナップ多いしいいんだよね。
 
 
転じて、大学の図書館でもけっこう差はあるんじゃないかな。そもそもその大学に行けるかって話もあるし、環境って大事ですね。
 
日本っていろんなところ縦割り感があるっていうか…日本のサービス自慢ってサービス業だしな。それも超感情労働だし。あ、これは一緒か。
そういうところもう少し便利に、やりやすくなればなと思いつつ。
 
都市は今日も明るい。