いつか見た船

迷える子羊とその日記

図書館と情報格差

 

 

訳あって東京に来ています。
 
 
この書き方の通り私は地方出身者でして、地域としてはそこまで辺鄙ではないけどその町のはずれ、くらいの位置付けです。つまりちょっとした田舎です。図書館は隣駅から少し歩いたところにあります。
 
で、東京の図書館に来てびっくりした。すっごく広い、新しくてきれい、蔵書も多い。まあ行ったの千代田区なんですけどね。最初に行ったのは板橋区です。地元の図書館は板橋区の図書館より狭く古いぞ!(板橋区の皆様申し訳ありません)
なぜレシピがある! なぜ最新の雑誌が! 更新されてるってことだよな! すげー!
 
 
千代田区の図書館に行ったのは、他の自治体所属でも日本国内在住者なら借りられるから。他は中央区くらいかな。あとはその区に在住か通勤・通学してないとダメでしたね。それも板橋区の図書館で教えてもらったんだけど、資料が更新されてないのか新宿・渋谷でも借りられると聞いたのに借りられず…。ちゃんとしてください。
 
ここで思ったんだけど、日本国内に在住してなくて、学会かなんかで来た国外の人ってどうなるんだろう? 結構苦しいんですよ図書館の中で読むの。もちろんその資源を利用できるだけでありがたいのはありがたいけど。
 
 
デジタルデバイドっていうと、インターネットのことばかりが注目されるような気がしますが、私の情報の定義は「感知できるもの」くらいの広いざっくりしたものです。
科学博物館好きなんだけど、こんなにあるのは東京くらいだよね…。美術館もやっぱり東京の方がラインナップ多いしいいんだよね。
 
 
転じて、大学の図書館でもけっこう差はあるんじゃないかな。そもそもその大学に行けるかって話もあるし、環境って大事ですね。
 
日本っていろんなところ縦割り感があるっていうか…日本のサービス自慢ってサービス業だしな。それも超感情労働だし。あ、これは一緒か。
そういうところもう少し便利に、やりやすくなればなと思いつつ。
 
都市は今日も明るい。

若者の感覚は確かに全然違うよね



私は特に遊んだりしない人ですが、理由が理由だけに他の人のものを強くしただけのものだと思う。


私が遊ばない理由は不安だから。


勉強しないと蹴落とされる。働けるようにならないと生きられない。もっと英語を喋れるようにならないと、もっと日本語ででも円滑にコミュニケーションをとれるようにならなければ、営業職は絶対に向いてないけどかといって事務員もこれからなくなるだろうから専門職に行かないと、そのためには勉強しか…などなど。
親はバブル期を経験しているので、正直この感覚とは掛け離れている。私自身遊びまくっている親を見て、
 

①ああ元気だな、あんなに遊んで遊びって楽しいのかなーバーベキュー? する友達いないよ? そもそも数がいないのにみんな忙しいし…時間は作るもの? うるせーわかってる優先順位の問題だよ!

②高い外食よりうちで作ったごはん、だって寛げないしっていうかなによりお金ないよ、食べ過ぎるとまた辛いし量の調節できないし、外食って意外に体力使うんだよね

③結婚したいって言うけど結婚するのが早すぎるって? いやいや子供産むの早い方がいいよあんたたちも歳でしょ、産まないにしても確保できる選択肢を増やしたい…何があるかわからんぞ!

④車かあー旅行するには便利だけどなあー生活状況次第だよなあ、レンジローバー好きだけど実際には買わないだろうな、スバルのレヴォーグとか実用性も立ち姿も結構キレイじゃね? バランスいいよね


って考えたりする。私はこんな感じ。

この両方の考えは、経済状況もそうだし、技術革新によるところもある。グローバル化(人、もの、情報、カネのフローの増大)とインターネット。娯楽はもう手の届くところにある。パソコンを開けばいい。わざわざゴルフに行く必要はない。そこまでのコストもかけられない。
グローバル化に対抗できない国力の衰微も出てきてる。競争力が落ちてる。この場合の国力は経済状況を起点にしているけれど、経済、産業的なことは映画にものすごく出ている。今の洋画に日本人出てくるかな? 減ってないかな。 

物品でいえば、一昔前はパソコンがみーんなvaioだったのに今はサムスンとかになっている。スマホもそう。ソニー撤退したしね。
自動車産業は? スズキもだめ、三菱もだめ、下請けがバタバタ倒れて技術はなくなるか、または流出。残ってるのはトヨタ、スバル、ホンダ、ニッサン? 最近アメリカの投資銀行が日本の自動車業は四社ぐらいに再編されるって言ってましたよね。そうなったらどうなる? 何で勝負する? 人工知能搭載のカーナビ標準装備できる?
潜水艦の受注争いは生命維持装置がついてないから負けたんです。日本のニュースには載ってないな。ないものは輸入するしかない。とはいえそうするとコストがかさむ。

という状況だと若者の側も、どうしよう、何で食っていこう、と思うわけですよ。もちろん、スバルのアイサイトとか、積水のエコハウスとか、強みのある企業はあるけどね。
制度も日本的雇用慣行は高度経済成長期のモデルで、もう今には当てはまらない。どうしても維持したいならカネにモノ言わせればいいがモノを言わせるカネもない。変えたいなら今の上の世代がいなくならないと…少子化だから根本的に数で劣る部分もあるし。選挙は数だ! 大阪都構想
他にもワークライフバランス、男女差というか統計的差別の話、そこから出てくる少子化、待機児童問題、介護問題に労働者の薄給、あれこれいろいろ。


国力ってのはいろんな見方がありますが、ベースはやっぱり経済だと私は思います。その後にいろんな現象が出てくる。OECDの幸福度ランクとかね。経済中心とは言いながら、経済は人的資本中心の情報経済ではあるけど、これからも変わっていくんだろうな。


ところで私よりさらに若い世代は一体どうなるんだろう。妖怪ウォッチとポケモンでいえば、世界観的にはやっぱりポケモンの赤緑が一番深みがあると思う…。あの国家? システムがとても興味深い。ミュウツーの逆襲は未だに観る。ありゃすごいぞ。1998年の映画とは思えない。あの路線で行って欲しかった…。

就活落ちた日本(ピー)!



正直言いたいことはとてもよくわかる。

就活はいかに自分を作れるか。その企業に合わせて自分を作り変えて臨み、一社員となる。人が役割を果たすっていうより役割が人になるんだよね。これは性別役割分業の話にもつながるけど。性別役割分業で損してるのは女性だけじゃないし、役割を押し付けられる女らしい男の人だっているはずだし。でも女らしい男っていうのは男らしい女より風当たりが強くて…あ、ちょっと脱線した。

何度も企業に足運ばないといけないし、たくさんの人見なきゃいけないからWEBテストで足切られるし。最高10次面接間であるとか(http://www.nhk.or.jp/fukayomi/maru/2012/120623.html)。交通費もバカにならない。いますよ? 私の友達にも、数字が全く計算できない人。でも彼は優秀に活躍してます。人数が多いと、判断材料がデータデータデータになってしまう。

そもそも新卒一括採用が高度経済成長期の産物で、年功序列と会社の福祉と連動して動くもの。状況が変われば制度も動くべきではある。まあ国際競争に対抗してコスト削減のため非正規拡大とかアウトソーシングって方向には動いてるみたいですが。非正規に女性やお年寄りとかの労働市場での弱い立場の人がやって来るから賃金も上がらないし。典型的に構造問題だと思います。

就活の悲哀はおそ松さんのアニメが表してくれてると思う。最終話の「センバツ」の話。言葉がわからなくても笑うしかない。例え正常なのが自分だとしても、同じようにできなければ死が待っている(聖澤聖之助たち)。

何よりも問題なのは変わろうとしないことかな。しようと思ってもできないこと。

もちろん昔には今と違う苦労があったでしょう。親世代(バブル期)の人からすると君たちよく勉強するねえ、だそうなんだけど馬鹿野郎そうしないとなにもできねえんだよ! 口が滑りました。途上国の優秀な学生に勝てねえだろ! いくら阻止しようとしても、衰える国力を補うにはね。人工知能もまだまだだし。
今の大卒見込みの親世代はバブル期なので、この世代が一番ズレが大きいはず。年功序列で社会の上に上がっているのもこの世代かな。変わりたくても変われない、それにはこの世代の話も入ってくると思う。
それを超えた就職氷河期のあたり。バブル期に入社した人でもその頃にはリストラでしたし。

一番大変なのはESですね。90年台後半に出てきたものだそうです(http://nikkan-spa.jp/1906?display=b)。就職氷河期には被りそうかな? 質問内容が同じでも、会社によってどうアピールするかが変わるから、実質オーダーメイド。
検索エンジンが大体1995年の登場、リクナビが1996年。マイナビはs48年11月就職情報部門発足。ネット化がいつかは発見できず。となるとこの変化と景気の崩れが就職氷河期にかち合ってるのね。回線重すぎとか。好景気の折にはまた採用されたみたいだけど、結局そこに行き着く…景気。

あれこれ書きましたが、どっちが辛いとか言う気はありません。そんなことより目の前の現実を変える力をください。厳しいのは確かに同じだからね。でも今のことしか感じることはできないんだよね。


ズートピア

見に行ったのは少し前ですが。


ズートピアの映画に興味を持ったのは、PVですでに共生の問題と、アメリカンドリームを思わせる言葉が出ていたから。


アメリカンドリーム言説の問題はマートンが指摘している。
望めば何にでもなれる。
チャンスはどこにでもある。
この言葉が孕む問題は、その人が立っている位置、高さ、チャンスの浮かんでいる高さ、腕の長さなどを考慮していないことである。嘘は言っていない。ジュディは確かに警官になることができた。努力に努力を重ねて、学校での成績も一番で卒業し、しかし、任された仕事は駐車違反取り締まり。彼女ができないことが問題なのではない。ニックは腕が届いたが、そこから叩き落とされた。
差別の問題があるところには必ず階級の問題がある。人口比は肉食獣10%、草食獣90%であるから、肉食獣が上に立つピラミッド構造であろう。警察、市長は肉食獣(高位)、あの企みを持った副市長は羊である。ジュディは田舎の出のウサギであり、ニックのキツネという存在も雑食で、決して高位のものではない。また、ズートピアでのネズミは金融業と、裏社会の人間として出てきている。ネズミ町の人は知らないけど。
ニックがアイスをわざわざ作って売っていたのは、小さな動物用のものがないことを見越してではないか。大都会にある厳然とした差別。ニックは決して多数派ではない。だから見えることがたくさんある。そこで生き抜くのに、キツネの知恵は役に立っただろう。

そしてガゼル。
アーティストとしての名前も、種族の名前もガゼル。
劇中でデモをやってるから、社会的影響力を持つアーティストなんだろう。種族の名前をアーティストとしての名前にするっていうのは並々ならぬこだわりを感じる。ダンサーはみんな虎だったね。アーティストにも肉食獣が多いとかそういう事情があるのかも?

ああ、英語版だとそれぞれの国や地方の訛りの英語を各キャラクターが喋っているそうです。
ジュディがウサギしかウサギのことを蔑称で呼ばないとか、小ネタも多いとか。
字幕版見たかったなー。