いつか見た船

迷える子羊とその日記

日本が変わらないのはなぜか

 

 

「派遣を選ぶなんて、近頃の若者は責任から逃げている!」

 

とても衝撃的な言葉ですが実録です。おじいさん世代ですね。

 

私たちがどれほど苦労してると思ってるのか! エントリーシート書いたことある!? ウェブテスト受けた!?(父親にこの質問をぶつけたところ、当然ながら「なかった」と言っていました)保険料いくら上がったと思ってるんでしょうね全く。

 

最近の若者は希望もなく働かされてそりゃ体壊すわみたいなご高齢の方のツイートを見ましたが、それが話題になるのは珍しいから話題になるわけでですね。

 

違和感はあるんですよ。めちゃくちゃ勉強していると親世代には「よく勉強してるね」とか言われます。そうしないと就職できないんですよ。いやマジマジ。

 

 

さて、この人達の共通点。若い世代のあれこれを知らないことです。知ろうとしない人も多いですね。さあなんでか考えてみよう。

 

日本は単一民族国家と信じられており(流石に今はそんなことないんだろうか)、その地理的閉鎖性から遺伝子多様性にも乏しいと思われます。一例として、服飾分野に人間の骨格を三種に分ける骨格診断理論というものがありますが、そのうちの一種が八割を占めると言われています。「同じ服が似合う人が多い」ということは「それが似合わない人は弾かれる」ということでもあります。たぶんその辺の事情も関係しています。

 

同調圧力、ですね。これは同じ集団間だけで適用されるものですが、これを任意の集団レベル、ここでは国民レベルに拡張すれば当然、「俺はできたのになぜお前は」ということになります。

 

上の人の言うことは絶対。「上の人」って誰ですか? 上司? 政治家? 親? 先輩?

少なくともその認識の中に権力関係が存在してるってことですよね?

 

 

 

アジアでは階級の縛りはかなりあります。ここでいう階級は直接的にとり結ぶ上下関係のことです。身分のことではありません。上の人が絶対、これは概ねアジアの傾向。

 

 

むしろ日本で特筆すべき点は次のものです。

 

アジアとしての考え方の悪癖は世界大戦時に出まくっていました。先輩は絶対で、先輩にされたように後輩をしごいて「鍛え」なければならない、戦争より先輩が怖い。『海軍めしたき物語』では、厨房で包丁を取り合う様子が記録されています。先輩から包丁をもぎ取らないと仕事ができない。できても文句を言われる。

陸軍と海軍の対立。ネジの規格が違うため、部品を流用できない。

 

結果はご存知の通りだったわけですが、日本が特殊だったのは、支配層が入れ替わらなかった点です。アメリカが日本を政治的に活用するため、支配層を残さざるを得なかったのだと私は解釈しています。元軍人が会社を経営したり、重鎮となって今も活躍? しています。

 

かくして変わることはできなかった。悪習は保存された。年配の人を厄介な人たちと見て遠巻きにする…つまり誰かが何をするわけでもなくその人の死を待つ。そしていざ自分が支配層になったら自分はそんな老人になっているかもしれない。だってそんな人しかいなかったから! 周りもみんなそうだから! 自分は正しい!

 

 

 価値観をアップデートできない、これは致命的な問題です。それを妨げる土壌があることはみんなわかっていますが、大戦時にそれが取り払われなかったというのも理由の一つではないか、という文でした。

 

 

ヴァイオレット・エヴァーガーデンと機械=人間観ノート

まだノートだけどせっかく書いたし…という言い訳

 


興味深い点

「自動手記人形サービス」
代筆=機械としての位置付け
しかし女性しかいない
→知性と性の融合した商品サービス
ヴァイオレットもメイドと同じようなことをした
人であるから対応できること、そこまでサービス内容に入っていると見て良い
しかしどこまで女性である必要がある?
つまり、なぜ女性しかいない?
って考えると答えが一つでは?

 

このサービスが成立するためには物流復旧と識字率の低さが必要
前者はクリアしているとして
農村の人間でも字を読む描写があるのに書けないのか?
ここの順番はよくわからん、現代だと同時に訓練されるし

ヴァイオレットが心を備えて「成長」していく様子、機械としてのそれではなく人間としての気遣いが求められているのは明白
それがこの仕事のキモ
代筆はオマケ…はいいすぎか、代筆は機械でもできるが、機械ではできないことを求めている

 

人間としての気遣いとは?
ヴァイオレットは作中、人に触れることで愛、というか、痛みを理解する(自分がしてきたこと、「燃えている」状態の理解)
戦闘機械としてのヴァイオレットはまだ本能と身体能力だけで動いていて、心を備えていない状態をそう呼ぶならばまさしく「機械」もしくは「動物」…えーこの区別は置いておこう話がややこしくなる

 

人間と機械を大きく分けているものはもちろん生殖なんだが
そうするとこの自動手記人形サービスって結構面白い観点
つまり、性的な観点を導入せざるを得なくなるということ
「人形」という言い方も含めて
資格もあるくらいだから、それなりに普及した仕事だし
平民も依頼できるならそんなに高いものじゃない
このサービスをどう捉えるべきか?

京都はなぜ、どのように京都らしくないのか

まず京都のイメージといったら歴史、寺院、観光都市、ですよね。

 

や、でもね、結構程遠いところもあるんですよ、ということをこの記事では言いたいです。

 

 

まず京都駅着くでしょ? がっかりしません? あの見た目。和の色彩は全くない。某所では「京都らしくないところが一番京都らしい」とか言われていますが言い得て妙だと思いますよ。

 

あの建造は1997年。平成7年というと、市街地景観整備条例と同年の完成です。あれはコンペで選ばれたものらしいですから、選考期間を考えると実質もっと前の設計です。

 

 

さあここで景観条例の動きを見てみましょう。

 

景観整備条例としてもっとも早いものは1930年(昭和5年)。風致地区の制定です。東京を除く、京都以降の条例実施は完全に都市計画的な視点からなされました(加藤・中川・並木編 2006)。余談ですが、なんとその頃にはすでに京都市内には市電が走っています。路面のやつ。うーん文化の薫り。

 

しかしその時代には歴史どうこうではなく、郊外や山地の「自然」を守る形であったようで、当時の風致地区は、「京都市街から『望見可能』な範囲の山地部を中心に、岡崎公園や植物園等の京都府や市の所有地も含まれた」そうで、追加で認められたのも「京都府の顔を立てる形」での「平安神宮建仁寺下鴨神社」などでした(岩田 2010)。

つまり京町家なんかの市民の伝統を守る意識というのはありませんでした。また同年、全国初の観光課が設置されています。この両者は関連しており、この風致地区制定は観光産業に役立てるためでもありました。一応は。しかしこの後戦争があったことを忘れてはいけません。

 

その都合なのか、次の条例は1966年(昭和41年)まで飛んでしまいます。古都保存法による歴史的風土特別保存地区の指定。立法趣旨によれば、

「この法律は、わが国固有の文化的資産として国民がひとしくその恵沢を享受し、後代の国民に継承されるべき古都における歴史的風土を保存するために国等において講ずべき特別の措置を定め、もつて国土愛の高揚に資するとともに、ひろく文化の向上発展に寄与」

するためのものです(京都通百科事典 2016)。リンクはこれ→歴史的風土保存区域 京都通百科事典

 

第二次世界大戦で敗北した日本は、どうにか国際イメージを向上させる必要がありました。ここで使われたのが舞妓の意匠でもあります(Brumann and Cox ed. 2010)

 

ここで制定されたのは美観地区、巨大工作物規制区域、特別保全修景地区(祇園新橋地区、産寧坂地区)です。

 

嵯峨嵐山地区は確かにこの時期に保護地区に指定されたのですが、市街地の拡大が急激に進んだため、樹林地の展望が大きく変容したとかなんとか。

 

そうそう、交通インフラにも触れておかなくてはなりません。高度経済成長及び1964年の東京オリンピック開催によって、インフラ整備が盛んに行われました。その一環として新大阪・東京間を結ぶ東海道新幹線が同年に開通します。

 

東山魁夷が京都の町並みの絵、「年暮る」を描いたのは1968年(昭和43年)ですが、その時すでにこの絵を想像で描いたと述べています。

まあ当時は高度経済成長期でしたからね。公害の問題なんかもいっぱい起こりましたし、利用者も最盛期には2億人を超えています。

路面の市電廃止の決定はその翌年にあたる1969年です。市電全線廃止は1978年ですね。

 

 

その三年後の1972年(昭和47年)、全国に先駆けて市街地景観条例が制定されます。

 

買い入れ・整備システムは存在するのですが、その内訳は植え込みなんかで、私達が想像する町並みを守る(とか、寺院をどうこうする)とは違うんです。あくまで自然に力点があったってことですね。

そりゃ市街化も進みますわ。

 

じゃあ肝心の町家を保護しだしたのはいつかというと、京都市が京町家再生プランの取り組みを始めたのが2000年。それを町並みとして保存しよう、「『点』から『面』へ(京都市 2007)」、という高さ制限や町家保護といった取り組みが総合的に行われ始めた(歴史的景観再生事業とよぶ)のはなんと2007年です。意外でしょ?

 

皆さんよくご存知の祇園なんかも、もともと建仁寺っていうお寺の借地だからいじれないっていう事情があったりします。 そもそも築100年位ですあのへんの町家は。祇園京都市よりはさすがにちょっと早くて、町並み保存の開始が1996年。今の石畳になったのが1999年。確か石畳面積の半分は京都市の負担だったような。

 

 

以上のように、景観保存は私達の思っている、例えば京町家のようなものを保護する働きはないんですよ。京町家が町並みとして残っているのはごく一部で、一軒一軒は保護されることもありますが、その有志の団体も今や資金難だとかなんとかで。有志の団体というと、京都市文化観光資源保護財団とかですね。

 

京都は古都とはいいますが、そのような(一連の)景観が残っているのは実のところごく一部です。特に住宅は。で、そういうところはもちろん住宅街ですね。だからこそ市街地となっている中心に近い清水・祇園地区が人気になるわけで。

 

「古くて新しい」というのは確かに京都の性質だと思います。だから「京都らしくないことが一番京都らしい」なんて言われるわけです。パン好きすぎるよねあの人たち。

 

 

私たちはそう理解できますが、であれば、外国人観光客はどうでしょう。……どうでしょうね?

 

 

 

参考あれこれ:

 

加藤哲弘・中川理・並木誠士編,2006,『東山/京都風景論』,昭和堂.

岩田京子,2010,「風景整備政策の成立過程ー1920-30年代における京都の風致政策の歴史的位置ー」,Core Ethics(6),519-28.

BrumannChristoph and CoxRupert eds., 2010Making Japanese Heritage, New York:Routledge, 31-43.

京都市,2007,「京都市の景観政策」,http://www.city.kyoto.lg.jp/tokei/cmsfiles/contents/0000062/62129/HP-japanese.pdf(最終取得日2017年10月18日)

政策あれこれ

京都市:歴史的建造物等の修理・修景助成制度について

日本企業は実はずっと前に強みを失っていたのではないか

 

もちろん神戸製鋼です。

 

原発の部品にも使われていたそうですね?

日本企業が落ち目なのはわかってはいましたが、まさかここまでとは思いませんでした。

 

社長の記者会見での謝罪の第一声は「ご迷惑をおかけして申し訳ありません」です。改竄に対する謝罪ではありません。

 

では改竄がバレずに迷惑がかからなかったら良かったのではないですか?

 

 

さて、まずはなぜ企業が不正をするかに関してーーこの場合は基準を満たさない品質のものを売り渡すということになりますが、これは利益追求の行為です。

 

生産上、どうしても基準を満たさない「不良品」は出て来るものです。ここで企業は、それを廃棄するか、それともB級品として売るかの選択を迫られる。

当然、A級品との値段の差がそのままコストとなるわけです。廃棄なら廃棄代も入ってかなりマイナスになりますね。そこでデータを改竄すれば確かに利益は出ます。

 

ここまではいいでしよう。企業は利益を追求する集団であり善悪はともかく筋は通ります。

 

 

問題は、なぜそこでそうだ改竄しよう、と思ってしまったかです。

 

改竄がバレたとき、彼らだってどれほどの騒ぎになるかはわかっていたはずです。鉄は素材産業ですし。

確かに論理的に筋は通りますが、これだけではあまりに理由として乏しい。改竄をする理由にはもちろんなりません。

 

 

ここのところ、日本企業の不祥事・弱体化が目立ちます。

東芝、日産、シャープ、神戸製鋼…いずれも劣らぬ日本の名企業たちです。日本の高度経済成長とともに育ち、日本産業の代名詞となった電化製品や自動車。

弱体化のなぜを探るには、なぜ強かったかを知ることが必要でしょう。

 

インテルCEO、アンドリュー・S・グローブは著書の中でこう述べています。

日本企業の強みは上司も部下も同じテーブルについているため、問題についてすぐに討議ができることだった(しかし、電子メールが成立して以来、それは日本だけの強みではなくなってしまったのだ)、と。

 

つまるところ、日本の企業経営とは共同体経営と呼ばれるものでした。

企業というものは、チームというより家族に近い存在である。だから社会保障もつけるし、安定的に雇用するし、そのためには一括採用してずっと教育するのが便利で、……日本的雇用慣行というやつです。

 

もちろんこれが効果的な時代もありました。高度経済成長期のことですね。資金が潤沢にある時代はそれでもよかったのです。人間を機械みたいに働かせても報酬が出せました。

 

今はどうですか?

 

機械ならコンピュータがある、人工知能(あえてこう言わせてもらいます)もある、じゃあ私たちが出来ることは? 報酬がもらえない、競争力もない、資金力もない、研究開発も出来ない。その上で人工知能流入に対し、何らかの対策を講じない人がかなりの割合に登ります(総務省:246, http://www.soumu.go.jp/johotsusintokei/whitepaper/ja/h28/pdf/n4300000.pdf

やーそりゃ代替されますよ。ねえ。

 

 

利益追求の能力が不足している、時流の変化にも対応できない、だから改竄なんかに走ることになったのではないか。

それが私の疑念です。

中国③ 身勝手(と生まれながらの身分)編

中国編続きです。

 

資本主義の極地としての拝金主義。未成熟としての未分化。それでいながら、みな自分だけが良ければよい、と勝手な行動をする。未分化であるから、自分の「身勝手」は子どもや家族に波及し、そしてしかも、彼らを傷つけるのです。

 

しかしこれだけではおそらく中国の抱える問題を明らかにするのに十分ではないでしょう。

国内の状況がそこまで固定化されているのは、「出身で全てが決まる」からでもあります。そしてこれが原因であり、結果でもあります。

 

御存知の通り、中国は急成長を遂げました。今や都市部は日本と変わらない町並みです。では取り残された農村部の人はどうなるのかというと、出稼ぎに行くわけです。

出稼ぐには何が必要か……これは中国における婚活で、最も価値を持っているものはなんでしょうか、という問でもあります。

 

戸籍です。

 

もちろん暫定許可証みたいなものはありますが、あくまでそれは暫定です。

ずっと仕事をしていられる保障なんてありません。再開発の都合でいきなり家がぶっ壊されたりもするくらいですから。

北京の戸籍は、農村部の人は喉から手が出るほど欲しくて、でも絶対に手に入らないものです。

なぜなら北京の人は北京の人と結婚し、家を築いていくから。

 

日本におけるお見合いのケースだと、資産家の娘と平民の息子が結婚して家業を盛り立て……というのも少なからずあったようですが、中国では逆に作用しています。

 

 

中国の社会問題なんて山ほどあります。むしろ、これだけの問題をあげつらって改めて思いますが、こんな状態であんな経済成長を成し遂げたのは驚異的です(これは余談ですが、中国にGDPを追い越されたあたりから日本のGDPの報道はまっっっっったくなくなりましたね)。言論統制云々もありますし、良い人材ほど中国に戻ってきません。

 

これほどの問題にもかかわらない経済成長は中国の国土の広さ、人口の多さに由来するものです。今現在、中国で暮らしが良くなっているのは都市部の方です。中間層が増えているんですね。それも3億人程度。中国の人口が13.7億人ですから、せいぜい22%。日本の人口は約1.27億。3億は236%にあたります。

これだけ差があれば、負けることの方が当たり前ですし、あれだけの成長を記録しても不思議ではありません。そして、中国国内の状況は、人材流出のため悪化することになります。

 

中国の成長はいつか頭打ちになります(もうなりかかっています)。経済だけ発達してもいけないのです。昭和の時代を行きてきた方なら、当時の日本がどれほどひどかったか覚えておいででしょう。散乱したゴミ、撒き散らされる公害、経済成長と、それについていかないシステム。でも日本は変化したのです。

 

 

身勝手、もうひとつ挙げることが出来ます。とても大きな問題だと私がみなしているのは、「親」です。

親にとって子どもは、その望みを叶えるための道具です。

日本のジェンダーセクシャリティよりジェンダーベース(つまり、社会的に構築されている)ですが、中国におけるジェンダーとはそのままセクシャリティのことです。女性の価値は子どもが産めること。また、親が手放そうとしないことも大変多い。メンツのために。立派な子どもがいることは親の自慢です。では、どの点において子どもは「立派」とされるか? 

成績が良くて、優秀な共産党員で、それでもそもそも戸籍が北京でなければ、国内で戦い勝ち上がることはできません。

 

全てはメンツなのです。公的機関は何も保証できない、信用できないから。ならば、自分の感覚と、信用できる人々を信じるしかない……しかし彼らも教育を受けていない。おばあちゃんが飛行機エンジンに小銭を投げ込んだことがありましたよね? あれはそれの象徴です。

それで下の方で澱み、凝り固まったままなのです。誰もが誰もの足を掴んで引きずり下ろしている。それに気付くような人々が国外に流出して勉強したりするわけです。

 

 

もちろんそれに気付くまでもなく、(中国式でない)教育を受けている人もいます。そのような中国系アメリカ人を眩しく見つめることだってあるでしょう。

日本でだって、そんな人々が少数であるように、それは中国においても同様のことなのです。

車に見る文化ーディーラーとトヨタ

 

 

今回は車いってみましょう(中国編は詰まっているので、気分転換に)。

 

 

なぜ車なのかということですが、車は近代技術の結晶であり、また資本主義の大量生産の特徴でもあるからです。 ポストモダンとして情報技術とそれに基づくカスタム(管理)された生産が語られるのであれば、モダンの象徴は車とフォードと大量生産です。

 

ポストモダンだのポストトゥルースだのいろいろ言われてはいますが、まだ車が消えたわけではありません。現在日本の指導者層にある(しかも20代より数が多い)50代の方々にとって、車というのは青春の残り香であり、そして、現在もその「友」の位置にあるものです。

 

日本を代表する産業は未だに車です。ロボティクスとAIはまだまだですね。バブル期と被った産業が車だったので、これはしょうがありません(?)。バブル期にはその時代の先端産業が発達することになると思います(ex.中国の人工知能:テンセント、バイドゥ、…)。

 

 

さあ、では、トヨタを例に取りましょう。一番の人気メーカー。おそらくそれが一番早い。

 

最近販売店に行ってきてみました。新型プリウス、PHVが見たかったのです。ディーラーがその車をどのように語るのか、それは車やメーカーの姿勢、ビジョンと直結するんです。 営業時間より早く入ったら朝礼中で見向きもされませんでした。これはまあいいでしょう。 問題は試乗のとき、なのです(今回はプリウスではなくヨーロッパ部門デザインのCHRでした)。CHRも、トヨタは全部そうですが、一番の強みは燃費なわけで、微妙に硬いシート、微妙に変なサスペンション、出力の悪さ、あたりは全部そのままです(前席のスプリングはどのメーカーも良いものを使うので、後席に使うかどうかでメーカーの姿勢がわかります…トヨタはこれは最近の搭載)。

 

翻って三菱、これはCMでの言葉ですが、「技術で人を幸せにする」です。このコンセプトは日本人には馴染みがあることと思いますが、さあ果たして、私たちは本当に幸せになったでしょうか? クラウドでいつでも仕事ができるようになった、インターネットの普及でいつでも仕事相手と連絡が取れるようになった…ここで、仕事とプライベートの区別は崩壊しているのでは?  

統計学の手法、解析方法と同じで、方法論だけではだめなんです。ただ闇雲に使ってもだめなんです。クロネコヤマトは、従業員の負担を受けてAI搭載の機器を導入しようとしていますが、その結果持ち歩く機器が増えてしまい、さらなる負担増に繋がりそうな見込みです。主客転倒。  

 

では主客転倒していない車メーカーはどこか。スバルです。

アイサイト・ツーリングアシストの触れ込みは「疲れを減らし、愉しさを深める新機能」です。長距離ドライブでも楽なように、そして安全なようにーーつまり、人間中心に設計されていると感じます。

 

 

トヨタに話を戻しましょう。PHV。 時系列は前後しますが、お台場のトヨタミュージアムでも一際広いエリアで宣伝されていました(あえて「展示」ではなく、「宣伝」といいます)。

 

「ライドワンにて”ハイブリッドの次”を体験してください」

 

「群を抜く加速感。しかも静かなまま」

 

「骨から変えて作り上げた、アスリート体型」

 

スマホを経由して、車と会話ができる」

 

「ライドワンにてプリウスPHV試乗実施中」

 

「乗っても降りても、そばにいます」

 

「使い勝手は、まるでタブレットです」

 

「世界初! ソーラー充電!」

 

「EVモードで、日々の移動をほぼまかなえます」

 

 

……どうでしょうか。 あ、いや、おかしいところがあるとかじゃありませんよ。

ただ、技術に対する比重がとても大きいと感じませんか?

 

それもそのはず、トヨタのモットーで、「快適さ」に関する言葉は一つもないんです。

うーん、「静か」くらいですか? 試乗はとりあえずいいや。

 

中でも私は「使い勝手はまるでタブレット」の一文に注目します。「使い勝手」! 「タブレット」! つまりあくまで車は移動の道具でしかない。ここに「空間」という要素はない。日本の道路状況として外側の大きさが限られるのは仕方ありませんが、そもそも狭いし。実際、新しい開発コンセプトに「乗って快適」はありません(Fun to Driveはありますが、これはあくまで運転者側の目線)。

ここから、技術信仰の仮説が導けます。

 

最近トヨタはTeslaとの協定を破棄し、独自路線を行くことになりました。テスラはどんな車を作っているかというと、オート運転支援システムや、超高性能なエアフィルター、2.7秒で時速100キロに到達……つまりそういう技術の方向です。 おそらくそこで決裂したのでしょう。

 

なんというか、トヨタは日本の技術のリーディングカンパニーな感じですね。技術が先にあって、車にどう応用できるか考える、というか(ex.Mirai)。同じくテクノロジーを売りにしているAudiは、もっと空間との融合に気を遣っている印象です。日本メーカーでは、最もビジョンがある技術運用をしているのは前述のスバルです。これは信仰ではありません。

 

ついでに言っておくと、ヨーロッパのクラッシュテスト見ると、運転席側はしっかりしていますが助手席側は壊滅的な結果になっています。長らく運転席側だけだったのですが、近年助手席側テストが追加されたようです。 まあ、こういうテストは対衝性と燃費がトレードオフに近い関係にあるので、燃費(=軽さ)を売りにする日本車は不利な感じはします。

 

 

次はCM解析とかやってみたいですね。

 

中国② 未分化編

中国編その二:未分化。その一もお読みいただければ嬉しいですが、読まなくても大丈夫です。内容自体は一応独立しています。

 

 

未分化。何が未分化なのか。正直コレはいろいろ解釈できる話で、前回メンツが大事だとお話しましたが、ここにもかなり関わってくる話です。子どもの学校の名前で親にハクをつける。無理に車を買ってハクをつける。苦しむのが自分だけではないということがポイントです。

 

これを語るにはまず、中国の国家体制について言及する必要があります。皆さんご存知社会主義……と、資本主義の融合。とはいえ社会の基本原理はあくまで社会主義です。

 

では、社会主義と未分化がどう関連するのか?

そうですね、まず私有の概念がないということからです。プライバシーはありません。親に対する子どもに人権はない。国家に対する人民に人権はない。教師に対する生徒に人権はない。

 

親・教師と子どもの関係はわりと似ています。はっきりした上下関係と管理が要点ですね。とにかく勉強。本も読んじゃダメ。とか。

これは私有の概念がない=分化していないということから来ています。子どもは親の所有物である。そしておそらく教師の所有物でもある。中国の生徒は、教師が個室で朝ごはんを食べているのに彼らは食堂で食事を取らなければならない。職員室は立派なのに、自分たちの教室はそうではない(教師は公務員です。公務員は共産党当局に直結します)。というところから上下関係を教え込まれます。人民は国家の所有物である。当然国にも同じような態度で接するようになります。

国も最低限の保障はします、が、病院作ったから使ってね、で終わりです。待機時間の問題、有力者との問題、全部放置です。医療費は(取れるところから取りたいので)超高額です……なのでみんな予防に精を出し、外で運動をしますが、外はああいう状況なので多分喉が死ぬほうが早いです。

 

ちょっと話がそれました。未分化、他の問題もあります。仕事とプライベートが分かれていないことです。

 

私達日本人にとって、仕事はちゃんとやることが当たり前です。でも彼らにとってはそうじゃありません。

モチベーションがない? 彼らがいい加減だから? なるほど、それも一理あります。

では、私たちは「いい加減でないこと」をどこで習うのでしょうか?

 

学校ですよ。教育です。まあ日本の教育システムもいろいろ言われてはいますし、それのほとんどは事実なのですが、しかし日本がその恩恵を受けているのも事実です。状況は昭和より確実によくなっています。電車にゴミが散乱するようなことは減りました。平成生まれにはそのような状況は俄には信じがたいことです。

 

翻って中国はどうでしょうか。中国の教育は「勉強しろ」です。本を読むのもダメ。朝7時から補習、夜8時までまた補習。これだけ集中していればそりゃあ余計なこと考えずに済みます。当局にとっても都合が良い。国際社会に国民が優秀だっていう証拠を見せることもできます。

 

そして前回お話した超拝金主義。メンツ。働けば働くほどお金が入るならどうか、と論理的には導けますが、彼の国の階級は完全に固定されています。今経済状況がよくなっているのは13億のうちの3億くらいです。さらにこの一握りが当局と繋がっています。残りは中産階級。その中産階級も搾り取られています。中国でAudiはいくらかご存知ですか? 大体日本円の二倍です。ここに元の通貨価値を考え合わせるともっと高くなります。でも日本よりずっと売れています。三十六万台でしたっけ?

 

地方のモデル的住民として農民を想定できますが、農民は働けば働くほどお金が入る職業ではないし、農産物はあの国はとても安いです。都会で売ろうと思っても、そういうブースを出店できるような市場があるのですが、その出店料は売上の一年分に匹敵するくらい高いです。

 

 

 

社会学には「内破」という用語がありますが、これは一つ一つの分野が発展してから合流するから意味があるのであって、一つ一つの分野が未分化であればそれはただのChaosです。もちろん混沌には混沌の秩序があるのですが。しかも中国の場合、当局がそれを(崩されないという意味で、完璧に近い形で)作っているというのが特殊なところ。あまりにも徹底的な階級分化。

 

新幹線にはVIP席がありますが、お茶からクッキー(まだ中国で西洋菓子は珍しい)からジュースからおしぼりから何から何まで出てきて、毛布お願いしますって言ったらにこにこしながらかけてくれますよ。車両の一番後ろにあって、車両一台まるごとがそうなっています。一般人たちの姿を見ずに済みます(車両と車両がドアで分かれていなくて直結しているのが不思議なくらいです)!

 

このような事情で、中国では人が傷つけられるのはアタリマエのことなのです。